言ってませんか?勉強に逆効果のNGワード

子どもが勉強嫌いで、宿題もやってる気配が見えないと、ついつい言っちゃうこの言葉。

「勉強しなさい!」
「宿題はしたの?」

言いますよね?
言わない、という方も中にはいらっしゃるでしょうが、「言わずにはいられない」という方も多いのではないでしょうか。
もちろん私も、言っちゃう派です。

でも、子どもの勉強サポート関連の本などを読むとかなりの高確率で書いてあります。
「勉強しなさい」は言ってはいけない、と。

「勉強しなさい」は言ってはいけない

「ゲームしてないで、早く勉強しなさい」

宿題出てるのに一向に手をつけようともしない姿を見ると、どうしても言いたくなります。

「宿題を終わらせないとゲームをしてはいけない」という約束を守って、ゲームこそしていないけれど、ダラダラしてたり、ゴロゴロしてたり、マンガ読んでたりと・・・

どうせやらなきゃいけないんだから、早く終わらせなさいよー!
とイライラしてしまいます。
「宿題やりなさい」ってつい口をついて出てしまいます。

なのに、なぜ子どもに「勉強しなさい」を言ってはいけないのでしょうか。

「勉強しなさい」=強制

なぜ「勉強しなさい」と言ってはいけないのか?
答は、人間は強制されることを嫌うから。
強制されたと感じると、かえって勉強したくなくなってしまうのです。

「仕方なく勉強を始める」子と、「いまやろうと思ってたのに、言われたからやる気がなくなった!」といって(←あるある、ですよね)結局勉強しない子もいます。

ただでさえ「勉強したくないなあ」と思っているところに「やりなさい!」と強制されると、イヤな思いが倍増し、勉強に対してマイナスの感情をもつ→ますますイヤになる、という悪循環に陥ることになります。

言われてしぶしぶ勉強する子はいますが、強制されて「よし、やる気でた!」と喜んで勉強する子はいません。

言われても勉強しない子は勉強しませんし、勉強する子もやりたくてやる勉強ではないため学習効果は半減。

勉強してもしなくても、強制された感覚、勉強はイヤなものという認識だけが強まります。

というわけで
「勉強しなさいと言っても、どうせすすんで勉強はしません。
マイナスイメージを持たせるだけムダ。逆効果」
なのです。

あーなるほど。
強制されるのは、大人だってイヤですもんね。

・・・。
・・・。
・・・。

いや待って!
そんなこと言っても、「勉強しなさい」って言わなかったら、
うちのお子様方はそのままいつまでも勉強しませんけど!?

「勉強しなさい」さえ言わなければいいワケでもない

親が何も言わなくても自主的に勉強してくれれば、それにこしたことはありません。

私自身は親に勉強しなさいと言われた記憶は一切ありませんが、「普通」に勉強はしていた方だと思います。

「勉強しなさい」と言わなくてもそれだけじゃダメ

私もやっぱり強制されるのは嫌なので、「うちの親は勉強しろって言わないでくれて、ありがたいなあ」とは実際思っていました。

その経験を踏まえて、子ども達にも勉強しろと言わなくたって「勝手に勉強するようになる」のだろうとなまぬる~く考えていたため、小学生の頃には勉強しなさいなんて言ったことは多分ありません。

「遊ぶ前に宿題終わらせてね!」程度のことは言いましたが、そもそも、ビックリするほど宿題が少ない小学校だったので言う機会もごくわずか。

小学生のうちは遊べばいいやと思って見守り、勉強しなさいと言わずに来ましたが・・・。
ほんとに勉強しませんね、うちの子たちは。

そして、子どもが中学校高校になって
「勉強しなさい」と注意する羽目になり、
「勉強しなさい」さえ言わなきゃOKというワケではないのか・・・と
遅まきながら痛感することになるのでした。

すすんで勉強する子にするには

勉強しなさいと言わないようにすると同時に、幼少期から勉強に興味をもつように、うまく働きかける必要があったんです。

子どもがすすんで勉強するようなご家庭では、特別なことは何もしていないと思っていても、「勉強って楽しい」「面白い」と子どもが思うような環境や声かけなどがあったはずです。

この辺りは自分ではうまく実戦できませんでしたが、「こうすれば良かったんだ!」的な話は、ちゃんと勉強して、いずれ書きたいと思います。

子どもが自分から勉強しないときの声かけ

「勉強しなさい」を言わないのが理想とはいえ、
「今日出た宿題」「来週のテスト」があるのに「子どものやる気が出るのを待つ」のは、少なくとも今の我が家では現実的ではありません。
残念ながら。

「勉強しなさい」「宿題やりなさい」を言わないと支障が出るため、
(試しに言わないで様子をみていたら、ほんとにやらないままその日が終わりました・・・)
せめて強制されてる感を減らしたいと思ってこう声かけしてます。

「今日の勉強、何時から始める?」

「何時から始めるか」は子どもに決めさせる

勉強(宿題)をすることのは決定事項として扱います。
「やる」か「やらない」かは選べない前提です。

本人たちも、本当は勉強(宿題)しなきゃと思ってはいるんです(のはず)。
でも、やりたくなくてついダラダラしたり・・・
私だって食器洗いしたくなくてダラダラテレビ見てたりするので、その気持ちはよーくわかる。
そして、私だってやりたくなくても頑張って終わらせてるよ。

言われるのイヤだろうなとは思いつつも、
「何時からやる?」
と聞きます。

自分で決めてもらうことで

「自分で決めて宣言したから、〇時になったらやるしかないか~」

という気になるようです。

今自分がしていることや気分に合わせて決められるおかげか、今すぐやれと言わんばかりの「勉強しなさい」よりも穏やかに聞いてくれるようになったと感じています。

まとめ:勉強しなさいはNGワード

本日のまとめ。

「勉強しなさい」は逆効果のNGワード。
(でも「勉強しなさい」さえ言わなきゃOKでもない)

「何時から勉強始める?」
 開始時間を自分で決めると、強制感が少なく感じるので反発心がやわらぐ

「何時から?」は、言い方をマイルドにしただけのことで、結局「勉強しなさい」と言っていることは自覚してます。

「勉強ができる=基礎的な知識がある、学び方を知っている」のは、これからどんな道に進んでも必ず役に立つことだと思っています。
少しでも子どもが「勉強は楽しい」と感じられるようになるように、家で親としてできることを模索していくつもりです。